平和の旅 ポーランド アウシュビッツへ2016年09月05日 22:56

ポーランド-1

アウシュビッツ見学をめざして、ポーランドへ
行ってきました。総勢7名のこじんまりとした
旅行でした。クラクフという町からアウシュビッツ
へと向かいました。実は、アウシュビッツよりも
隣のビルケナウの方が大きく、アウシュビッツに
とらわれた人びとは、自分たちがやがて殺される
ための建物を隣のビルケナウに建てる仕事をさせ
られていきました。

ヒットラーは、当初は、ドイツからユダヤ人を追い出す
のが目的だったようですが、戦争で、占領する国々
に多くのユダヤ人がいたため、虐殺へ傾いていった
ようです。収容所は、アウシュビッツだけでなく、ポーランド
各地にありました。虐殺されてユダヤ人は、600万人だ
そうですが、アウシュビッツ、ビルケナウでの殺人は、
120万程度でした。虐殺された人びとは、ユダヤ人だけで
なく、政治犯、ジプシー(ロマ)、障害者、ロシア人捕虜、
エホバの証人などもいました。

写真は、クラクフ空港からホテルに向かう途中の
電車に乗る風景など。

アウシュビッツへ2016年09月06日 23:13

ポーランド-2

アウシュビッツとビルケナウの様子。毒ガス(農薬のチクロンB)
ふたを開けて、防毒マスクをはめた兵士が上の穴から投げ込
んだ。最初は、射殺でしたが、手間取るので、ガスを思いついた
ようだ。一日の食事。射殺の壁(弾が跳ね返らないような板)、
固そうな3段ベッド、トイレ、輸送用の貨車(立ったまま、水もなく
この貨車に150名ぐらいは、載せられたようです。)

働けば、自由になる………このウソの門を毎朝、楽団の演奏
をききながら、行進して、仕事場に向かったそうです。

ポーランド旅行 3日目2016年09月07日 23:29

ポーランド旅行-3

3日目。クラクフ市内。クラクフの歴史地区。
空爆にほとんど合わなかったようで、きれいな町並み
が残っていました。バベル城、聖マリア教会(1時間
ごとにトランペットが時刻を知らせる)など。

その他、ここには、ヤギューオ大学があり、コペルニクス
が学んだそうで、銅像もありました。

ここから、ワルシャワへの移動は、電車を利用。3時間
ほどで、ワルシャワに到着。座席がばらばらで、検札
に来られて、切符を持っていないので、あわてました。

ポーランド旅行 4日目2016年09月08日 23:36

ポーランド旅行-4

ワルシャワの歴史地区の広場。人魚の像が。
ここでは、ユダヤ人が隔離されたゲットーの跡
の壁などを見学。ワルシャワ蜂起記念碑などを
見学。ショパンの国で、ベンチのボタンを押と
ショパンの曲が流れます。「歴史と出会う家」
で、ドイツとポーランドが共同で、歴史の教科書
を作っているという報告がありました。現在は、
中学のができたそうで、これは、押しつけの教科書
ではなくて、自由に使うようになっているとか。
さらに、高校の教科書へも作成が進んでいくようです。

ポーランド旅行 最終日2016年09月08日 23:44

ポーランド旅行-5

昨日の夜は、最後ということで、ポーランドの
民族舞踊を見ながらの食事でした。夜景は、
ロシアのスターリンが贈ったという建物。現在
文化科学宮殿になっているそうです。

午前中は、自由行動ということでしたが、全員
ショパンの像があるワジェンキ公園に行きました。
樹木がいっぱいの広い公園でした。人なつこい
リスがいました。早朝で、お客到着前で、ゆったり
した気分になりました。

ことあと、ワルシャワ・ショパン空港から、成田へ
約10時間の旅で、今回の旅行も無事終了。

アウシュビッツ近くのクラクフに住むユダヤ人は、
わずか、100名。ポーランドに住むユダヤ人も
少ないようで、戦後、スターリンに占領された時、
イスラエルやアメリカに移住した人が多かったとか。

ユダヤ人も少ないポーランドで、ホロコーストを
教科書であつかうのも不思議な感じがします。

とにかく、あの絶滅収容所で人々が、苦しんで
生活をしている様子を頭に浮かべことによって、
実感を得ることができたのは、貴重な体験でした。