福島の旅 2回目 1日目会津若松2024年03月26日 21:17

会津若松

福島旅行2回目。
いわき駅集合が10時30分で、も間に合わないので、郡山で前泊しました。

東北新幹線で、郡山へ、そして磐越西線(ばんえつさいせん)で1時間30分で会津若松に着きます

 あいにく雨天でしたので、タクシーを使っての駆け足見物。政府軍とひと月籠城して、戦った鶴ヶ城でしたが、想像よりも小さい感じがしました。
 
そこから少々遠くにある白虎隊の飯盛山へタクシーで。階段と平行して、動くエスカレーター式階段があり、500円で利用しました。

さざえ堂というらせん状の建物で上りと下りが対向しない不思議な建物。飯盛山に建立された、高さ16.5mの六角三層のお堂で、正式名称は「円通三匝堂」。

戊辰戦争のおり、19名の白虎隊の少年が、鶴ヶ城が落ちたと勘違いして、全員自決。一人だけ生き残った。その19名の墓がありました。

郡山へ戻りましたが、雪がちらついて寒かったです。

福島の旅 2回目 2日目いわき市2024年03月27日 21:21

いわき市

宝鏡寺の住職 早川篤雄さんは、原発ができる前から反対を訴えて来られたが、ついにかなえられず、最近82歳で他界。お寺の横に「伝言館」という地下室もある博物館を造り、訴えてきました。

立命館大学の安斎郁郞氏が館長を継ぎ、原発の廃止の行動を続けています。

 楢原・富岡の原発に近い所の道路を通ると、放射線量は、バスの中で、ざっと10倍の値を示しました。6年前は、50倍でしたので、5分の1に減っていました。

 今回も請戸小学校(うけど)を見学。大平山へ一目散に避難、全員が助かりました。

 原子力災害伝承館という立派な公営の建物ができていました。

 最後に「日本国憲法」の草案をつくった鈴木安蔵の生家を見学。GHQも参考にしたという草案。決してGHQの押しつけ憲法では、ありませんでした。

福島の旅 2回目 3日目おれたちの伝承館2024年03月28日 21:24

伝承館

2日目は、「おれたちの伝承館」という民間の美術館を見学。力作がいっぱい。牛が餌がなくて、柱の木をかじって死んでいったのを表現した立体物がありました。天井に大きい作品が釣り上げられていました。

福島の旅 2回目 3日目飯舘村2024年03月28日 21:26

飯舘村

2日目つづいて、飯舘村の「風と土の家」で、ふくしま再生の話を聞き、神社など付近を見学。神社の樹木の根元は、やはり、10倍の線量。

田尾陽一さんは、工夫されたログハウスを建てて、ここに移住。建築家の卵さんが、滞在していました。
 

最後に「図図倉庫」というコメリの建物を譲り受けて、中を改造して、いろいろな研究をする施設ができていました。がらくた倉庫状態ですが、植物の水耕栽培の実験施設がありありました。安い費用で利用できるようです。

福島の旅 2回目 4日目ソーラーなど2024年03月29日 21:28

ソーラーなど

3日目、最後は、大雨の中を長靴をはいて、傘をさしての見学。

「二本松営農ソーラー」という、ソーラーの間を畑として利用して、小麦、ブドウ、ごまなどの植物を育てる試みを始めていました。温暖化で、ソーラーの日陰を利用することもあるそうです。

土は、多少の放射能もありました。ブドウのオーナー制も完売とか。えごまを一袋プレゼントされました。若い二人の活躍を期待したいものです。

 小峰城の石垣の倒壊、石に番号をつけることを、熊本城修復に指導したとか。

 最後は、葉の木平 での、地すべり現場を見学。12名の地区の人々が亡くなりました。地区の人々の助け合いの行動が見られたそうです。

現在は、避難所として利用されています。

 まとめとして、福島の人々は、復興を目指してがんばっておられます。しかし、若い人々が戻ってきていません。時間がかかるようですが、それまで、地域社会が維持できるか……が問題です。