大和郡山城跡など散策 ― 2025年07月18日 23:31
前日の大雨の後でしたが、何とか晴れて 蒸し暑い中、
近鉄の急行で奈良の大和郡山へ行ってきました。
金魚資料館では、昔の貴重な資料が展示してありました。
金魚の専門家なら 飛びつくような資料だと思います。
お城ばかりでなく、金魚飼育業のために市の予算で
立派な 資料館を作って欲しいものです。
個人の金魚屋さんで、忙しそうに働いていて、
何の相手もしてくれませんでした。
日本には、室町時代に中国から入ってきたようで、
それ以降、金持ちの趣味として 続いたようです。
東南アジアや中国など 輸出をしているようですが、
すたれゆく 産業のようです。
大和郡山城跡は、天守閣はなく、天守の石垣を10年前頃に
補修して、その造りをくわしく 展示してありました。
わいろ政治で名高い 柳沢吉保の城のようで、
地元では、尊敬されていたようです。
また、2代目城主は、筒井順慶で、本能寺の変で、
細川藤孝と共に明智光秀に味方しなかったため、
光秀は、滅びてしまいました。
筒井順慶らが味方していたら、天下は、変わっていたかもしれません。
奈良は、いい石が取れないらしく、石垣の石にお寺などでいらなくなった
廃石も利用していました。石垣の中に 逆さになった地蔵が入って
います。さかさ地蔵というそうです。
源九郎稲荷神社は、歌舞伎に登場する「源九郎狐」をまつる
神社で、小さいけれど、日本三大稲荷の一つ。
歌舞伎役者の中村勘九郎 (後の勘三郎)が
「義経千本桜」を演じた時に、植樹した しだれ梅と
しだれ桜があり、中村勘九郎 七之助 兄弟の
のぼりが立っていました。
最後のおまけに 町屋物語館に寄って おばさんに、
丁寧な説明を聞いてきました。
法律の改正で、昭和33年まで、遊郭を営業していて、その後は、
学生の下宿屋として 再利用されていました。
ガス灯が3階の部屋まで 配管されていました。
売られた女性たちが、3畳の間で 悲しい人生を
送っていたことが想像できます。
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