松阪市 観音岳(605m)登山2025年04月27日 23:12

観音岳

2回目の 松阪市にある 観音岳を登ってきました。

わずか600mの山でしたが、急登ありで けっこう疲れる
登山でした。まずまずの人出でした。

春ですので、新緑の葉っぱが実にきれいでした。

ミツバツツジ ツバキ スズカマムシグサ(?) ムロウテンナンショウ(?)
イワカガミ アセビ フジ などの花が 見られました。

大滝という名の 地味な滝がありました。

間引かれた 樹木が散乱しており もったいない限りです。

鍵を落としたため それを捜すため 1時間のロスを作り
メンバーのみなさんに 迷惑をかけてしまいました。

9時半から4時半 約7時間 9.8km 18000歩 の登山でした。

最後の なばなの里 見物2025年04月15日 22:24

なばなの里

毎年更新してきた 入場パスポートを 終了しますので、
最後の なばなの里へ 行ってきました。

途中 雨が降り、すぐにやみましたが、気温が低く
寒い 天候になりました。

寒さのせいか チューリップも まだ元気に咲いていました。

和食と温泉とイルミネーションのお決まりのコースで
帰ってきました。

イルミネーションは、モダンアート風のデザインになっており、
また、サービスも簡素化され 時代の流れを感じました。

東南アジア系の外人客が 大勢来られていました。

これにて なばなの里の終了です。

能登が峰(759m)登山と 鮎川の千本桜2025年04月12日 23:55

能登が峰

3回目の 能登ヶ峰に登りました。

朝 不思議なほどの 青空を見ました。

黒滝公民館近くの登山口から いきなりの急登で、
頂上まで 上り坂が続き、 杉の葉っぱや枝が落ちたままの
道を 進みます。

巾があり、比較的歩き易い道で、赤リボンをたよりに
進みます。

途中 ぬた場に オタマジャクシのようなたまごがありました。
水が貯まれば かえると思います。

すごい形の ヒノキがありました。アセビヶ原で昼食。
遠くに 鈴鹿の峰々の 鎌ヶ岳や御在所岳が見えました。

帰りに鮎川の千本桜を見に寄りましたが、予想外の車の数で
40分ほど待って 駐車できました。

3年前とはちがって ライトアップが設置されており、
知名度もアップされたようです。

朝9:15~15:15 6時間 7.8kmの登山でした。

経塚山 リベンジ 623m2025年04月07日 23:43

経塚山

加太(かぶと)不動滝 方面の 経塚山のリベンジで、
再登山。

朝9時15分から 夕方18:40 までの 9時間 14kmの登山。

奥の山 593m地点から、右折して下るところを
左折(むしろ直進)していまったため、行けども
行けども 経塚山にたどり着けず、あきらめて
もどることにして、結局 今回も リタイア。

ネットのガイドに 左折× と書かれてあるのに、
その意味を 解釈しきれずに……失敗。

また いつか リベンジするかもしれません。

秋や冬なら 真っ暗な 夕方6時40分下山。
何事もなく よかったです。

ツバキ ツツジ アセビ の花が 咲いていました。

養老 笙ヶ岳(しょうがだけ) 908m2025年03月22日 22:44

笙ヶ岳

養老駅から養老公園を通って 養老の滝から 笙ヶ岳(908m)を
目指しました。

もみじ峠までは、どうにかたどり着きましたが、笙ヶ岳(908m)の手前
高度差 150m のところで 体力的にダウン。 

諦めてアセビ平(旧牧場?)から 眼下のパノラマ風景を 拝んで
帰ってきました。

土曜日と大学生の春休みもあり、若いグループが
養老の滝を見に 大勢 来ていました。

養老鉄道の養老駅から 養老公園までの坂道を
シャトルバスが、無料で 運行しており、うまく
行きと帰り 乗車できました。

午前9時15分から 16:30 約7時間の 14km の行程でした。

駅前の土産物屋のおしゃべりおばさんのお勧めで、 
キビようかんを1本買ってきました。

どんな味でしょうか??


現在伝わる伝説は以下のようなものです。
 
『昔、元正天皇の頃、養老の山の麓に源丞内という貧しい樵(きこり)が住んでいました。

 朝な夕な山道を上り下りして薪を採り、一生懸命年老いた父親を養っていましたが、その日その日を食べていくことに追われて、老父の好きなお酒までは十分求めることは出来ませんでした。

 ある日、いつものように山に働きに出て、岩根を伝う滝の水を眺め、「ああ、あの水が酒であったらなぁ・・・」と思った時、苔むした岩の上で誤って足を滑らせてしまいました。

と、その時、どこからともなく酒の香りが漂ってきました。不思議に思い、辺りを見回すと、近くの石の間の泉から山吹色の水が湧き出ているのが見つかりました。

いぶかりながら見ると、これは不思議、芳香を放つ本物のお酒だったのです。

 はじめは夢かと思った源丞内も、大喜びで「あら、ありがたや、天から授かったこの酒」と瓢(ひさご)に汲んで帰り、老父に飲ませました。

半信半疑の父は、一口飲んでは驚き、二口飲んで額を叩き、三口飲んでは手を打って大喜びしました。

親子の「おめでたい、おめでたいことだ」と喜び笑い合う声は村中の評判となり、やがては遠く奈良の都まで知れ渡りました。

養老の滝
 元正天皇はこの泉をご覧になるため、わざわざこの地に行幸され、これは源丞内の感心な孝行の行いを天地の神がお褒めになったのだとおっしゃいました。
 そしてその水をお持ち帰りになり、都の人々にも飲ませられて、このめでたい年を記念して、年号を「養老」と改められたのです。』