根の平峠からハト峰登山 ― 2017年07月03日 21:50
滋賀県 蛇谷ヶ峰 登山 ― 2017年07月14日 21:47
三重交通のバスハイクで、滋賀県の蛇谷ヶ峰(じゃがたにがみね)
902mを登ってきました。頂上は、アップダウンの連続で、なかなか
頂上に着かない やっかいな山でした。あいにく頂上近くになると
霧が出始めて、わずかな雨になり、 琵琶湖も 何も 下界は、
見えませんでしたが、昼食後 わずかに霧が晴れて、下界の
景色がみました。汗びっしょりで、朽木(くつき)温泉に入って
帰ってきました。シャツなどが、汗でびっしょり濡れていました。
ヤイロチョウ という 8色の渡り鳥の写真撮影のため、全国
から カメラを持って 写しにきていましたが、6月に撮った
写真を見せてもらいましたが、この日は、撮れなかったようです。
福島の今を知る旅 ― 2017年07月24日 22:22
7月24日から26日までの3日間、ツアーで、今の福島県を見てきました。
常磐線は、津波や放射能汚染で、ずたずたに寸断されましたが、竜田駅(たつたえき)までは、開通しています。しかし、1日7本程度です。
富岡第2中学の体育館は、震災当時そのままで、残っています。入り口のガラス越しに写真をとりました。
放射線汚染除去の黒い袋がいっぱい山積みになっています。白い建物は、その中で、分別などの作業をしています。
富岡町付近の線量は、1.44、マイクロシーベルト。普通の0.08マイクロシーベルトと比べると、かなり高いです。有名な桜並木は、東京で、財をなした人が故郷への恩返しと少しずつ、桜の苗木を送ったそうです。
今日の最後は、ホテルのそばの塩屋崎灯台に寄りました。美空ひばりの「みだれ髪」の歌碑がありました。ホテル塩屋崎は、なかなかいいホテルでした。
福島を知る旅 2日目 ― 2017年07月25日 23:25
7月25日 二日目。復興住宅が建っていました。浪江町に行く途中の国道。マイクロバスの中での線量が、5.52マイクロシーベルトを示し、警告のバイブが鳴りました。ざっと、平常値の70倍です。6年経っても、まだまだ住めません。
浪江駅は、来年の4月から開通しますが、線量は、0.36マイクロシーベルトを示していました。駅前に「高原の駅よさようなら」の歌碑がありました。作曲家 佐々木俊一の故郷とのこと。浪江の町並みですが、人は、極めて少ないようです。新聞販売店に寄り、福島民報を買いました。
請戸(うけど)小学校のモダンな校舎がありました。津波の爪痕がありました。亡くなった方の碑と墓がありましたが、請戸小学校の児童は、この碑のあるところへ、避難したために、全員助かりました。
吉沢牧場(希望の牧場)では、牛が放牧されていましたが、線量は、0.46マイクロシーベルトと平常値の5倍でした。
小高駅は、開通されていましたが、乗客は、近くの高校へ体験入学に行く中学生だけでした。南相馬のかしまの「一本松太郎」が残っていました。南相馬の馬追が行われる「小高神社」を見学しました。勇壮なお祭りだそうです。
今日の宿は、民宿へ。宿に着く頃は、土砂降りの雨。宿の「森森(りんりん)」。カビ臭くてねむれませんでした。
福島 3日目 ― 2017年07月26日 23:32
7月26日。最後の3日目。相馬市の復興住宅。みんな同じ建物で、夜は、間違えそうです。
NPO法人の「野馬土(のまど)」の施設。食べ物を調べる線量計が置いてありました。お米を見分ける講習をしていました。
途中、ソーラ発電の施設がかなりありました。
相馬港の近くに「奇跡の藤の花」がありました。また、記念館には、持ち主の現れない写真が展示してありました。
飯舘村の役場が再開されていましたが、地面の線量は、高かったです。いたる所に放射線汚染廃棄物の山が緑色のシートのおおわれて置いてありました。0.22マイクロシーベルトの表示は、地面では、その10倍の2.12マイクロシーベルトでした。
60億円をかけた こども園・小中学校の施設で、来年4月で、学校が再開されますが、何人の子どもが来られるか?分からないそうです。
お米を作っていましたが、すべて、政府の備蓄米となり、最後は、家畜のえさになるそうです。
真野ダムの水を相馬市では、飲み水に利用していますが、その底のどろは、2万6859ベクレルのセシウムが貯まっていると、毎日新聞が2016.9.25に報道しましたが、ガイドさんは、笑って あきらめ顔でした。貯水の線量は、基準を下回っているそうです。
最後は、福島駅から、帰路の途につきました。福島は、福島市よりも郡山の方が大きな町だそうです。
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