伊賀上野探検 丸山城 芭蕉2026年01月31日 23:58

伊賀上野

伊賀の 丸山城を探検しました。

その後、伊賀鉄道の上野市駅まで行って
そこで、元藩校の崇広堂(すうこうどう)
を見学しました。もと藩校が残っているのは
三重近辺では、ここだけだそうです。

けっこう広く 国の史跡になっています。

朱子学を教えていたそうです。

武道場、講堂、寄宿舎などがありました。

芭蕉翁記念館では、少ないですが、貴重な
資料を見ることができました。

伊賀上野城は、昭和10年?頃再建されたそうです。
石垣が立派です。

芭蕉翁が 藤堂家に 花見に招かれた時の句、

「 さまざまの 事思い出す 桜かな 」

この句碑があるところは、桜色の小石が
敷き詰められています。
 「 さまざま園 」と よばれるようになったそうです。

伊賀は すばらしい観光地になった気がしますが、
土曜日なのに、人出が少ない感じでしたが、
天候が 寒すぎたからかもしれません。

丸山城2026年01月31日 23:20

丸山城縄張り図

丸山城縄張り図です。
丸山城は、伊賀鉄道の丸山駅から歩いて20分
の所にあります。

この城は、1579年ごろ 信長の三男の 織田信雄が
伊賀の国を のっとるために 滝川三郎兵衛に命じて
勝手に 丸山に 築城を命じて 完成する予定の頃
地元の土豪は、危機感を覚えて この丸山城を攻撃した。

これに激怒した 織田信雄は、親の信長の命令で、
伊勢の国司である 北畠一族を 滅ぼしてしまい、
伊勢は、信長が支配する国になった。

丸山城は、伊勢の国にありながら、最初から 織田の城であったようだ。

後、羽柴秀吉の命令で、この城は、廃城となったようです。

鳥羽城跡見学2023年11月30日 22:18

鳥羽

鳥羽水軍の城 九鬼嘉隆の鳥羽城跡を見てきました。

天守跡 本丸跡 などの敷地や多少の石垣が残っているだけで、
お城の実感がわきません。敷地が元鳥羽小学校の
運動場になっていたそうで、一段下に校舎がまだ
残っています。

九鬼氏の菩提寺は、常安寺で、廟(びょう)が残っています。

江戸川乱歩館を見学し、「怪人二十面相」などのなつかしい
書物などを見てきました。

金比羅宮鳥羽分社 樋ノ山 金胎寺を見て
鳥羽駅から近鉄で帰りました。

樋ノ山は、低い山ですが、案内板がなく、
登るのに苦労しました。

鳥羽は、角野幾之進、江戸川乱歩、伊良子清白など
偉人が出ているようです。

小牧山城見学2023年07月21日 22:17

小牧山城

桶狭間で今川義元を破った織田信長は、後の家康と協力して美濃の斉藤氏を攻めるため、美濃を一望できる小牧山に築城し、清洲から移りました。

 4年しか信長は、小牧山城に住みませんでした、最近の調査からこの城は、石垣を用いた本格的な城で、後の安土城の元になる城であることが判明しました。

 本能寺の変で、信長が亡くなると秀吉が勢力を持つようになり、信長の長男の織田信雄(のぶかつ)が家康と組んで、秀吉と戦うことになり、再び小牧山城が使われるようになり立派な城に改築されました。

長久手での戦いなどで、家康優勢の中で、和解が成立して、小牧山城は、再び使われなくなりました。

  江戸時代に入ると小牧山は、家康ゆかりの地として一般の人の入山が禁止されるなど、尾張徳川家の手厚い保護を受けました。そのため保存状態は良く、現在でも当時の堀や土塁の跡が多く残されています。

平地の中の山城で、360度のパノラマ 天気がよければ、長島の遊園地や伊吹山や鈴鹿山脈など、見ることができます。

 元気なボランティアのおじさんが、小牧市は、工場などが多く名古屋市からも移動してくるため、昼間の人口が増えるそうで、財政も10万都市としては、豊かだと自慢げでした。

 小牧駅からの循環バスが、65歳以上は、無料で、とくにチェックはありませんでした。無料とは、すごいことです。
 
 ただ、小牧は、交通アクセスが名古屋駅からは、乗り継いで行かねばならず、少し不便を感じました。

霧山城址探検2023年06月29日 22:43

霧山城址

続日本100名城の一つである
多気の霧山城址とそれに関係する
北畠神社、北畠氏館跡庭園(やかたあとていえん)
木造城跡 を見てきました。

霧山城跡の近くに美杉ふるさと資料館があり、
北畠氏館跡の発掘した史跡などが展示されていました。

霧山城は、続100名城になるだけあって、標高560mの
高さがあり、山頂には広い本丸や矢倉などがありました。

水が出ないので、兵士が物資を運ぶのが大変だったことが
想像できます。

庭園は、石の配置が面白く、高僧が僧に教えを施している
姿が想像されるとか………。

木造(こつくり)城は、木造氏の城で、木造氏は、兄弟で北畠氏側と
織田信長側とに別れて、戦ったそうで、北畠氏は、織田信長に滅ぼされましたが、織田側についた木造氏は、江戸時代まで生き延びました。

木造城は、平城だったためか、碑が残っているだけで、周りは、田んぼになっています。菩提寺は、写真の引接寺。

電車が来るため右折できない車。信号が青なのに、待たされました。